言葉のImagination(好きな詩)
2008年11月17日
雰囲気のある一句…
参加してゐるSNSでとても雰囲気のある俳句を見つけた。
長考に秋思もありや7六歩 オムライス
実に雰囲気のある句である。
句会に出してもトップに選ばれるレベルの秀句だとみる。
「7六歩」とは将棋で第一手に突かれることの多い手。
先手が先づ角道をあける指し方である。
素人将棋では通常は第一手だから、殆ど考へることもなくすつと突かれる。
後手が角の交換を目指すときなどは3四歩と角道を空けてくるが、
そうでない場合は普通後手は飛車先を突いてくる。これはごくごく通常の手筋である。
初手での長考なんか、素人将棋では考えられないこと・・・
よつてこの句の状況はプロの対戦と見た。
プロの対戦では初手に1時間も費やすことがあるといふ。
将棋素人のJoeには、何を考へているのか見当もつかない。
その状況を思ふとこの長考の内には、秋の愁ひもあるのかと思ひたくなるのだ。
対戦室のガラス戸の外、庭には晩秋の菊が終りの耀ひを見せてゐる。
観戦者が見守るしじまの中、先手はなかなか手を下ろさない。
庭の静寂につられて蟋蟀がチチと鳴く。音はそれだけだ。
やがて先手はすこし愁ひの表情見せながら、静かにすぅーと角道をあける。
作者はこの長考に自分の秋思を重ね合わせて見てゐる。
こんな情景を想像してみた。
そこのところの微妙な感覚…、これこそ「細み」といふのだらうか…
これいいなぁ~~
長考に秋思もありや7六歩 オムライス
実に雰囲気のある句である。
句会に出してもトップに選ばれるレベルの秀句だとみる。
「7六歩」とは将棋で第一手に突かれることの多い手。
先手が先づ角道をあける指し方である。
素人将棋では通常は第一手だから、殆ど考へることもなくすつと突かれる。
後手が角の交換を目指すときなどは3四歩と角道を空けてくるが、
そうでない場合は普通後手は飛車先を突いてくる。これはごくごく通常の手筋である。
初手での長考なんか、素人将棋では考えられないこと・・・
よつてこの句の状況はプロの対戦と見た。
プロの対戦では初手に1時間も費やすことがあるといふ。
将棋素人のJoeには、何を考へているのか見当もつかない。
その状況を思ふとこの長考の内には、秋の愁ひもあるのかと思ひたくなるのだ。
対戦室のガラス戸の外、庭には晩秋の菊が終りの耀ひを見せてゐる。
観戦者が見守るしじまの中、先手はなかなか手を下ろさない。
庭の静寂につられて蟋蟀がチチと鳴く。音はそれだけだ。
やがて先手はすこし愁ひの表情見せながら、静かにすぅーと角道をあける。
作者はこの長考に自分の秋思を重ね合わせて見てゐる。
こんな情景を想像してみた。
そこのところの微妙な感覚…、これこそ「細み」といふのだらうか…
これいいなぁ~~
2006年07月21日
好きな歌 “春の鳥…”

「春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと戸の面(とのも)の草に日の入る夕べ 北原白秋 」
この短歌は大正2年に刊行された白秋の第一歌集『桐の花』の冒頭に載せられています。よく知られた歌で、教科書なんかにも採用されていますね。
この歌の内容は、窓の外の草原の先にあかあかと沈んでいく夕陽をみている若者白秋が、春の鳥よ、そんなに鳴いてくれるな、それでなくてもとかなしいのに・・・ という感傷的気分を表わしているわけです。
この歌集には、この歌のほかにもボクの好きな歌が満載です。"春の鳥”に続いては…… 続きを読む
2006年06月30日
仁淀川はゆるうに流れ・・・

紅簾石 片岡文雄
ゆるうに流れよります
仁淀川は
ゆるうに流れよりますきに
鮎やらゴリやら魚は全部
水のいろにうち沈んぢょります
けんど
合歓の花が咲いちょる木の枝が
川上の方で ひょいと
流れへ突き出いちょったがですろう
その露にうたれたがですろう

まっこと
どっかの村の火事のはじまりみたような
そりゃあ熱うて
紅かい石を
見かけることがありますのう
コウレンセキ
そう ひとが教えてくれましたけんど
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*作者片岡文雄は土佐在住の詩人。
郷土詩人と言ってしまうには中央詩壇でも著名ですが、
現役の詩人で、土佐を愛し土佐の人・物・事を詠わしては
この方の右に出るものはないでしょう。
その意味ではほんとの郷土詩人です。
Joeを育んでくれた日本一の清流 仁淀川のことも、
この詩人の愛を込めた語り口がハートをやさしくくすぐります。
この「ゆるうに流れよります・・・」などどいう土佐の言葉が、
とっても柔らかでやさしい。
紅簾石ってきれいでしょう・・・!
石鎚山系、秩父古生層の深い谷から流されてきた赤い石。
その他の色もあって五色の石と言われています。
桂浜あたりの海岸でも見られます。
あぁ・・・帰りたいなぁ ふるさと・・・
2006年06月17日
またまた彌太の詩・・・
桜 岡本彌太
おたつしやでゐて下さい
そんな風にしか云へないことばが
さくらの花のちるみちの
親しい人たちと私との間にあつた
そのことばに
ありあまる人の世の大きな夕日や涙がわいてきた
私は
いまその日の深閑と照るさくらの花のちる岐路に立つてゐる
おたつしやでゐて下さい
私はその路端のさくらの花に話しかける
さくらは
日の光に美しくそよいでゐる
~~~~~~~~~~~~~~~~
※もう少々季節がずれましたけど、
彌太の詩でボクが一番好きなものを
一つ挙げておきましょうね。
この作品は詩集「瀧」の中にあります。
人と人の出会いと別れを、
こんなにあたたかく表現した詩を、
ボクは他に知りません。
ボクがこの世を旅立つ時には、
今まで出会ったすべての人々に
《おたつしゃでゐて下さい》って言って
別れていきたいなと思ってます。
おたつしやでゐて下さい
そんな風にしか云へないことばが
さくらの花のちるみちの
親しい人たちと私との間にあつた
そのことばに
ありあまる人の世の大きな夕日や涙がわいてきた
私は
いまその日の深閑と照るさくらの花のちる岐路に立つてゐる
おたつしやでゐて下さい
私はその路端のさくらの花に話しかける

さくらは
日の光に美しくそよいでゐる
~~~~~~~~~~~~~~~~
※もう少々季節がずれましたけど、
彌太の詩でボクが一番好きなものを
一つ挙げておきましょうね。
この作品は詩集「瀧」の中にあります。
人と人の出会いと別れを、
こんなにあたたかく表現した詩を、
ボクは他に知りません。
ボクがこの世を旅立つ時には、
今まで出会ったすべての人々に
《おたつしゃでゐて下さい》って言って
別れていきたいなと思ってます。
2006年06月02日
彌太の「わがなみだ」について
今日は彌太のこんな詩を紹介しますね。
作者岡本彌太という詩人は、
ご存じない方が多いと思います。
昭和の初め頃、高知県にいた郷土詩人です。
Joeが高校生のときに、
国語の先生が教えてくれたのです。
もちろん教科書に載っていたわけではありません。
そう…あれは、昭和24年になりますか、
まだ戦後まもなくの貧しい日本のころです。
当時30代半ばの男の先生でしたが、
漢学の素養の高い方でした。
名前も挙げておきます。中村傳喜先生といいました。
ボクたちは陰では先生のことを
(傳喜さん)といって親しんでおりました。
みなさ~ん この先生の情報が何かありましたら、
ぜひぜひ、Joeまでお知らせください~。
で、傳喜さんはよく正規の授業をほっぽらかして、
『三国志演義』の話を講談調で語ってくれました。
彼のおかげで声を出して読む朗読の楽しみを、
この頃覚えることができました。
(このあと一部の仲間は傳喜さんのことを「玄徳先生」と呼んだりしてました)
さて、ある日のことです。傳喜先生が教室へ入ってくると、
無言で黒板に詩を書きはじめたんですね。
それが下記の詩です。
書き終えると、声高らかに朗唱しはじめました。
ボクたちは、あっけにとられて聞いていたものです。
その先生の声は、今でも耳の奥に残っています。
先生は静かに言いました。
「彌太はのう、あしらぁ土佐人の誇りじゃ。
あの宮沢賢治と比べても引けをとらん素晴らしい詩人じゃ。
君らぁは、それを認識せにゃいかん。まっこと誇りじゃ」
そういう先生の目はうるんでいるかのように見えました。
教室の窓の外には、桜が舞い散っていました。
このシーンは、心の風景画として、今でも記憶しています。
こうして、ボクたち高校同級生の心の中に、
岡本彌太という詩人がしっかり居座ったのです。
ボクたちの仲間は、みんなこの詩を知っています。
この詩がわれわれ少年の心の土台となっていて、
荒れ果てた終戦後から、今まで歩んで来られたのだなと、
思えるのです。
決して勇壮な詩ではありませんけど……
「わがなみだ」は彌太としては初期の作品で、
詩集には組み入れられておりません。
彌太自身が詩ではなく「琴歌」と分類していたようです。
(ようです)とあいまいなのは、ボクは活字でこの詩を
見たことがないからです。 記憶だけです。
ですから、漢字の使い方や行の分け方が、
この通りではないかも知れません。
曲も付けられています。誰の作曲なのかも知りません。
もっとも正規の楽譜をボクは見たことがないので、
耳で聞き覚えたものです。
友人に会って聞くと、また違うメロディであったりします。
それでも、ボクたちの心の中にあるものは同じなのですね。
ごめんなさい…感傷物語を聞かせてしまいました。
こんな話、きらいですか……?
作者岡本彌太という詩人は、
ご存じない方が多いと思います。
昭和の初め頃、高知県にいた郷土詩人です。
Joeが高校生のときに、
国語の先生が教えてくれたのです。
もちろん教科書に載っていたわけではありません。
そう…あれは、昭和24年になりますか、
まだ戦後まもなくの貧しい日本のころです。
当時30代半ばの男の先生でしたが、
漢学の素養の高い方でした。
名前も挙げておきます。中村傳喜先生といいました。
ボクたちは陰では先生のことを
(傳喜さん)といって親しんでおりました。
みなさ~ん この先生の情報が何かありましたら、
ぜひぜひ、Joeまでお知らせください~。
で、傳喜さんはよく正規の授業をほっぽらかして、
『三国志演義』の話を講談調で語ってくれました。
彼のおかげで声を出して読む朗読の楽しみを、
この頃覚えることができました。
(このあと一部の仲間は傳喜さんのことを「玄徳先生」と呼んだりしてました)
さて、ある日のことです。傳喜先生が教室へ入ってくると、
無言で黒板に詩を書きはじめたんですね。
それが下記の詩です。
書き終えると、声高らかに朗唱しはじめました。
ボクたちは、あっけにとられて聞いていたものです。
その先生の声は、今でも耳の奥に残っています。
先生は静かに言いました。
「彌太はのう、あしらぁ土佐人の誇りじゃ。
あの宮沢賢治と比べても引けをとらん素晴らしい詩人じゃ。
君らぁは、それを認識せにゃいかん。まっこと誇りじゃ」
そういう先生の目はうるんでいるかのように見えました。
教室の窓の外には、桜が舞い散っていました。
このシーンは、心の風景画として、今でも記憶しています。
こうして、ボクたち高校同級生の心の中に、
岡本彌太という詩人がしっかり居座ったのです。
ボクたちの仲間は、みんなこの詩を知っています。
この詩がわれわれ少年の心の土台となっていて、
荒れ果てた終戦後から、今まで歩んで来られたのだなと、
思えるのです。
決して勇壮な詩ではありませんけど……
「わがなみだ」は彌太としては初期の作品で、
詩集には組み入れられておりません。
彌太自身が詩ではなく「琴歌」と分類していたようです。
(ようです)とあいまいなのは、ボクは活字でこの詩を
見たことがないからです。 記憶だけです。
ですから、漢字の使い方や行の分け方が、
この通りではないかも知れません。
曲も付けられています。誰の作曲なのかも知りません。
もっとも正規の楽譜をボクは見たことがないので、
耳で聞き覚えたものです。
友人に会って聞くと、また違うメロディであったりします。
それでも、ボクたちの心の中にあるものは同じなのですね。
ごめんなさい…感傷物語を聞かせてしまいました。
こんな話、きらいですか……?