2005年10月23日

急ぐ旅でもあるまいに・・・

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 ドイツ文学者だった高橋義孝先生の著作「この日この時」の巻頭のエッセイを、ふと何気なく開いて読み直してみた。 いや読み直すというほどの大げさなものではなく、ほんの400字程度の短文である。 この文章には、著書と同名のタイトルがついている。

先生の弟子、作家山口瞳さんから言わせると相当の変人らしかったが、そういう山口さんもかなりな変人だったようだ。 この方々の仲間(といっちゃ変だが)はみんな変わっている。
TVドラマ「まぁだだよ」に描かれた「阿房列車」の内田百?、高橋義孝、「偏軒」という号まで自称した山本周五郎、それから「江分利満氏」の山口瞳と、作品を続けて読んでみると、「う~ん、なるほどねぇ」と肯かされるものがある。

繊細さを覆う頑固さがあって、骨があって、一見不躾のようでいて、その底には人間に対する深い愛情が沈んでいる。 でも、もし各先生方がそんな人物評を聞かれると、「てやんでぃ、べらぼうめ・・」といなされることは必至だな。 みんな実は照れ屋なのである。
残念なことに、もう四人とも故人でこの世にはいない。
この方々をボクは理屈なしに好きだ。

エッセイの話をせずに、脱線してしまった。 失礼・・
次のような内容である。
 
 ・・・・


先生が汽車に乗っていた。 ある駅に着いたとき車掌が「お急ぎの方は臨時列車にお乗換えください」と叫んでいたという。 ここから先生の思いが展開する。

そんなに急いで東京へ帰ってどうするというのだ。 帰って急ぎの用を済ませて、次々と急ぎの用を済ませて、何をするというのか・・ 「まさか墓場へ急ぐわけでもあるまい」だったらそんなに急ぐこともあるまい。 と、臨時列車をやり過ごし初秋の田舎駅の風情をゆっくりと楽しむ。
、「急ぐな、急ぐな。この日、この時、この場所がつまりは僕の全幅の人生なのであった」と結ばれている。

この感じはすごく爽やかである。そして気持ちが落ち着いてくる。そうだな、急ぐこともないのだな、と思う。

一方、別の意味でボクの好きな兼好法師は、「徒然草」で言っている。何事を差し置いても、大事なことはすぐやらねばならぬ、「一時の懈怠、一生の懈怠となる」とね。難しいね~。
このこととのつながりは、また別の機会に考えてみよう。どちらも老荘の思想だとおもうんだけどね。

「この日この時」に触発されてのJoeの歌を一首
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  ・混み合える急行列車やり過し        
        鈍行で行く小さき旅 晴れ
 

 

at 02:54│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!言葉のImagination(好きな詩) 

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