2005年02月12日

梅開く ~その2~

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 これは蕪村の最後の吟句である。
 天明三年(1783年)暮近く、12月25日の未明に蕪村は没している。68歳であった。
 
 芭蕉が最後に残した「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」という句に比べると、ずい分と平安な吟である。
 
 芭蕉の場合は、生涯求道者のように厳しく、旅に明け暮れていた。浪速の逗留先で、病を得て、その床にあっても夢で枯野を駆けていたのだろう。
 


 蕪村は、世帯も持ったし、出戻りの娘もいたりして、世俗のなかで揉まれていた。漂泊の旅に憧れる気持ちもあったらしいが、その旅立ちもままならなかったようだ。次の句なんかがその感じをよく表している。

  ・門を出れば我も行人秋のくれ

 旅に出たいけど行けない。だから、(家の中で何があろうと、門を一歩出れば旅、自分にとっては旅なのさ)と、こんな句も生まれたのだろう。

 彼は生涯を通じて深い懐郷の思いを持ち続け、その念が胸の内の焦燥となっていた。
 生まれは摂津の毛馬村(今の大阪市都島区)というから、京に住んでいた彼がその気になれば、淀川を下る船に乗って半日ほどで帰れたはずである。しかし、なぜか幼いとき毛馬を出て以来、帰郷したという記録はない。
 
 なにかそこには、彼の出生について複雑な事情があったのかもしれない。
帰りたい帰れない・・そんな思いを、その心の故郷に対して持ち続けていたのだろうか。
旅心というのは、実はその心のふるさとを目指す帰心ではなかったか・・

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  ・遅き日のつもりて遠きむかしかな
  ・愁ひつつ岡にのぼれば花いばら
  ・花茨故郷の路に似たる哉  
  ・我帰る路いく筋ぞ春の艸
  ・けふのミの春をあるひて仕舞けり


これらにはその思いがよくあふれている・・・ 遠い過去を振り返り振り返りして生きてきたようなのだ。 死の床にあって、あぁここまで長かったなぁ・・・と蕪村は思ったに違いない。 

 その故なのか、ここ「しら梅に明くる夜」に至って、初めて未来への希みが、ほのかに見える吟となったのだろう。浄土宗信者だった蕪村が、平明の世界(あの世)へ旅立つに際して残した、憧れのメッセージと見るは、Joeの過ぎたる深読みであろうか・・・




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